私が約70日間働いていた放課後デイサービスで(5月末で辞めました)5月のある日小学2年生の男の子から来所早々聞かれた。
Y君「自殺って何?」
私『自殺か~』
彼はアスペルガーと診断されている。
宇宙のことに詳しくいろんなことを教えてもらった。
虫のことやゲームのことも本当に詳しい。そして鉄男君だ。
学校が終わって来所してから宿題をするのがここのスタイル。宿題を促して準備している時の質問だった。
私はその質問を受け少しの間誤魔化すのか、説明するのか迷った。
『誰かに殺されるんじゃなくて自分で死ぬこと。』
「なんで死にたいと思うの?」
『Y君は死にたいと思ったことない?』
「うん」
『そっか~。(良かった。家庭環境がいいと思った)例えばさ、がんになった人が死にたいと思ったり、スポーツ選手が事故に遭ってスポーツができなくなったりした時に死にたいって言ってるの聞いたことない?』
「うん、そっか。わかった!」
『ところでY君は“自殺”って何処で知ったん?』
「新幹線の動画を見てたら、高圧電線に感染して死んだ人の動画を見た。その動画で“死にたかった”って書いてた。人が死んでるとこ見たことある?」
『ないな~。
死にたいと思うことがあったら誰かに話して乗り越えられるように強くなってね。』
と最後に適当な話で終わってしまった。
彼はネットサーフィンで好きな鉄道の動画を見ていた時にその動画に出会ったそうだ。
別の小学5年生の児童は「自殺とか怖いこと言わんとって!」と自殺という話題から逃げる。彼はシングルマザーの息子で、家に帰ってもだいたい1人で留守番している。
Y君は一人で留守番をすることもそんなにないのだろう。
Y君と“自殺”についての話をしてから何か聞き忘れているような気がして考えていた。
そしてそのもやもやがわかった。
(Y君がその動画を見てどう感じたのかを聴くのを忘れた)
次に会う時に聞くのもこの“自殺”というテーマを復活させるのも何か違う気がして彼の動画を見た時の感想を聞くことはできなかった。
Y郡は知的好奇心が強いので初めて出会う物事について《何故?》と疑問を持つのだろう。
興味を持ったことに対してとことん追求するところは、〚宇宙、虫、鉄道、ゲーム〛について本当に詳しいところから証明できると思う。
Y君は小学5年生とは違い《自殺=怖い》と結び付ける前に自殺者の背景に興味を持ったことが良い部分だと思った。
それは小学2年生と言う特性なのか、彼自身の特性なのかはわからない。成長していく過程で物事の起こった結果だけで判断せずその背景に目を向けることのできる人になってくれたらいいなぁと思った。
児童が帰ってから、この話題についてネットから“自殺”動画に行きついた経緯が気になり、Y君の保護者へこの話題について電話し伝えた。
①「自殺って何?」と来所早々聞かれたこと。
②自殺について説明したことと、どのように話したのか。
③Y君が“自殺”が気になった切っ掛けがどこからだったのか。
お母さんは「そういえば前に“自殺って何?”って急に聞いてきたことがあったけど、深く話したくなかったから誤魔化したんです。」と話す。
私『その時に疑問に思った“自殺”について、今回の動画を見て思い出したのかもしれませんね。』
私は彼の好奇心についてはとても良いことだと思う。
ただ、ネットはいろんな情報が発信されているので、もしY君がネットサーフィンをしている中でショックを受ける動画に出会うことが心配だった。疑問に思う動画に出会い、《問題=恐怖、悪、などのマイナス要素》に直結して結びつくことなく、その背景について一緒に話し合える誰かがいることが必要だと思った。
ネットを見せないなど情報を制限するのは簡単だが、それをしてしまうと彼の知的好奇心を制限することに
なるのももったいないと思った。
だけど、疑問に思った問題をY君が納得できるまで話し合える人がいない場合、《問題=恐怖》に結びつく可能性が高くなるのかな?と思うと、彼への情報を制限することがいいのかも知れないと思った。
『何にでも興味を持つ知的好奇心があるのはとてもいいことだと思います。』と話しはしたが、お母さんには私の思いは全て伝えることはできなかったのが残念だった。知的好奇心は今後の生活の中で自分を苦しめる要素にもなるが、自分を助ける大きな要素になると私は思っている。