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『自由を放棄する私たち』

イタリアの当事者とのSkypeに参加した。

 

今回のテーマは『自由』

 

広義のテーマなので難しい。

このテーマを知り、今日までに自分なりの『自由』を考えた。

 

“自由の権利を主張する時、他者への自由を脅かす可能性がある場合はお互いに納得するまで話し合い、都度折り合いをつけていく必要がある“

 

精神保健の分野でのディスカッションだったので『死』についての自由についても話し合った。

『安楽死』『自殺』『自殺ほう助』『優生思想』など

 

イタリアの方の言葉で書き留めたこと

 

1『自由は自覚と権利』自覚→自分自身を知ること

2『自由は関係性』誰かと話すことでしか自分の自由を知ることができない。

3『メダルを増やしている意識』クライシスに陥る度に今まで作り上げた生活を失うことがある。その度に新たな生活を作り上げなければならない。その度にメダルを自分にかけている。

 

ディスカッションをして私が思ったこと。

 

1→自由とは自分自身を知ること、そして相互の権利。自分の権利と相手の権利を考えること。それは自分の権利を主張することで他社の権利を脅かさないこと。テーマについて思ったことと自分なりに通じる。

 

2→自分の権利は他者の権利でもある。自分自身にとっての自由を主張することで他者の自由を侵す可能性が有る。だからできるだけ多くの他者と話すことで自分の権利の主張が変わってくると思う。

全てとは言わないが、他者と関わらない主張は自分の権利だけを考える主張、他者との関係性を持つ中での主張は他者の権利も考えた上での主張になるなぁと思った。

 

3→精神障がい者は症状の波によって何度も自分の生活を創らなければならない。私も創り上げた生活を症状によって手放すとき、今と同じような生活を創り上げることができるのかと考える。最悪できないときは生活保護も視野にいれる。しかし手放した生活よりも生きやすい生活を手に入れる可能性もある。

自分自身の未来がどんな状況でも受け入れることができるように、その時の自分にできることを考えて行動することで後悔もないと思っている。

メダルをかけることは創り上げた生活を手放してもまた創り上げることを諦めないという、メダルは彼の象徴と覚悟だと思った。共感。

 

私がした質問

『自由とは希望を主張した時に、はなから無理と言われることなく、希望をどのようなプロセスで獲得できるのか話し合う機会と、話し合った結果、“する。保留する。やめる。”の決定権が自分にあることなのか?決定権の保障がされていることなのか?』

 

彼らの答え

「難しい内容だがどちらともいえない。状況による。」

 

もっといろいろ話してくれたが詳しく覚えていないが、彼らの話を聞いて思ったこと。

→彼らが自由とは自覚と権利と他者との関係性と考えているのか。

決定権を得るためには他者への自由を侵してはいけない。他者との関係性の中で自覚を得ることと他者の権利を守ることも考えることができているのだと。

 

私の質問は発言の自由と選択の自由と自己決定の自由だが、彼らは自己覚知ができているからこそ決定を自分勝手には決めないのだと思った。

急性症状の時とそうでない時の自分の状態を把握しているからこそ、そのような答えになるのかなぁとおもった。

実際私も、重要な選択をするときには信頼している主治医と今一時的に話を聞いてもらっているカウンセラーに相談する。

 

外国人と話すことで独特な日本の歴史と文化を知ることができる。

それは良くもあり悪くもあり。

日本文化の何を守り何を変えることが良いのかいつも考えさせられる。

 

外国人と話す場合、

外国人→子供の自立を促し、個人として尊重することで自由と自己責任を養う教育を行う社会だから。

日本 →特にこども個人の尊重がされていない。それは親が子どもの責任を負うことを求められる社会だから。

 

これらを踏まえて話す。

私が思う日本独特の歴史と文化の一部。

かつては他国と協力しなくても成り立っていた国であった。

日本人の美学に、空気を読むこと。耐えることなどから自己主張をしにくい。

 

しかし現在では他国との協力が必要な社会であり、その為自己主張が

必要となっている。他者とのコミュニケーションを円滑にするためのスキルを手に入れるために私たち日本人には時間は時間が必要なケースが多いと感じた。

 

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朝から発達障碍者の合理的配慮について話していた。

会社に個人を当てはめる既存的配慮と個人に会社が譲歩する合理的配慮について、再び考えた。地震で途中で終わってしまった。残念。